ナイツと内海桂子の師弟秘話|師匠との出会いや弟子になった理由

ナイツと内海桂子の師弟秘話|師匠との出会いや弟子になった理由雑記ブログ

先日内海桂子さんが97歳で亡くなられ、直弟子だったナイツ(塙宣之・土屋伸之)さんも哀しみにくれているといいます。

 

そこで、今回はナイツさんとその師匠である内海桂子さんとの、これまでのエピソードなどを掘り下げて解説していきます。

知られざる出会いの秘話や内海桂子師匠の芸人としての教えなど満載です。

 

ナイツと内海桂子師匠のプロフィール

【内海桂子】プロフィール


  • 本名:安藤 良子 (あんどう よしこ)
  • 生年月日:1922年9月12日
  • 没年月日:2020年8月22日(97歳没)
  • 出身地:東京都台東区浅草
  • 血液型:A型
  • マセキ芸能社の所属第一号の芸人

【ナイツ】プロフィール


  • メンバー:塙宣之 / 土屋伸之
  • 結成年 2000年
  • 師匠:内海桂子 / 三遊亭小遊三

 

ナイツと内海桂子師匠との出会いとは

ナイツは2000年にコンビを結成し、2002年に土屋さんの母(演歌歌手)のすすめで、大手芸能事務所のマセキ芸能社に入ることになります。

 

はじめてナイツの漫才をみたマセキ芸能社の会長は、ナイツの二人をすぐに内海桂子師匠のもとに連れて行ったといいます。

そこではじめてナイツは、相方を失いひとりで活動していた内海桂子師匠と出会うことになったんですね。

 

 

ナイツはなぜ内海桂子師匠の弟子になったのか

ナイツはマセキ芸能社に入ってすぐ、半強制的に「漫才協会」に入会させられます。

漫才協会とは、漫才公演の開催・漫才師の育成・広報を目的とした協会です。

 

しかし、漫才協会にはひとつ入会条件がありました。

その条件とうのが、師弟制度です。

 

当時の漫才協会は、入会条件として、必ず誰かの弟子にならなくてはいけなかったんですね。

 

そこで会長は、当時漫才協会の会長だった内海桂子師匠のもとにナイツの二人を連れて行くことになり、めでたく内海桂子の弟子となった、というわけです。

 

『内海桂子師匠のネタが好きだったから』という、よくある憧れ的理由で弟子になったわけではなかったと、のちにナイツは語っています。

 

ナイツにとって内海桂子師匠はどんな師匠だったか

ナイツの塙宣之は、芸人としての内海桂子師匠のことをこう表現しています。

 

『桂子師匠は、言葉もいらないのよ。生き様だけで人の心を動かすことが出来る』

内海桂子師匠の偉大さと存在感がよく伝わってきますね。

 

 

内海桂子師匠は、ナイツの芸に対しては、まったく口を出さなかったといいます。

しかし、「人としての礼節」や「芸人としての姿勢」、ようするに、ネタ以外の部分の芸立ち振る舞いなどを厳しく教えて頂いたと話しています。

 

 

内海桂子師匠のこんな教えを、ナイツは守っているそうです

 

舞台に上がる時はスーツを着なさい

舞台に上がるってのは、特別なことなんだから

 

重い言葉ですね。

芸に取り組む姿勢。

そういえば、ナイツはいつもスーツ姿ですね。

 

 

『もういいよ』って終わっちゃダメ

そんな日本語は無いんだから。

 

内海桂子師匠は「言葉の使い方」にも厳しかったといいます。

確かに、ナイツは『もういいよ』といってネタを終わらず、『いい加減にしろ』で終わっていますよね。ずーっと内海桂子師匠の教えを守ってるんですね。

 

 

漫才師は、言葉で絵を描きなさい

漫才は決まった型があるわけじゃないんだから、その日のお客さんに合わせて漫才も変えていかないといけない。それが言葉で絵を描くということ。毎回同じものなんてないんだから。

 

もう説明はいらないぐらい、深イイ話ですね。

ナイツにとって素晴らしい師匠だったんでしょうね。

師匠からの芸人としての教えをしっかり胸に留めて、ナイツは漫才をしてきたんですね。

 

ナイツと内海桂子師匠とのエピソード

ナイツが番組などで語った内海桂子師匠とのエピソードは数多くありますが、その中でも何点か面白いものを紹介します。

 

ナイツと内海桂子師匠とのエピソード①

内海桂子師匠の弟子になってすぐ、ナイツは師匠のかばん持ちをさせられたわけではなく、すぐに現場に連れていかれて舞台に立たせられたといいます。

 

この業界では下積みなく舞台に立たせるなど、普通ありえないですよね。

 

では、師匠はなぜすぐに舞台に立たせたか。

理由は、『何が出来るか見てみたかったから』と、内海桂子師匠はいいます。

 

これが、舞台に立ち続けることにこだわってきた内海桂子師匠の、芸人の育て方なんですね。

舞台にこだわるナイツのルーツが少しづつ見えてきました。

 

ナイツと内海桂子師匠とのエピソード②

のちにナイツは、とある取材の対談で、『入社当時の自分たちについてどう思っていたか?』と内海桂子師匠に第一印象を訊いています。

 

その時の師匠の答えがこちら。

あってからすぐ、『ちょっとネタをやってごらん』といったら、2~3分漫才をした

『それじゃダメだよ』っていったら、それから8分漫才を続けてた

この子らはゆうこと聞くからいいなと思った

 

なかなか独特で面白いですよね。さすがにナイツの二人も笑っていたようです。

やはり師匠の中では、芸人は素直さが一番大切ということなのでしょうね。

 

まとめ:ナイツと内海桂子の師弟秘話|師匠との出会いや弟子になった理由

今回は、ナイツと内海桂子師匠の師弟関係について掘り下げてまとめてみました。

 

内海桂子師匠は、よく「軽口」という芸風(言葉遊び)を舞台で行い、若手芸人をアドリブで舞台に呼んでは困らせ焦らせては、そのあたふたした様子を面白くみせてお客さんを笑わせたといいます。

軽口:銘鳥銘木(めいちょうめいぼく)、都々逸(どどいつ)

 

やはり、内海桂子師匠がいつも話していた「言葉の重み」や「舞台の大切さ」からヒントを得て、現在のナイツの「ヤホー芸」が出来上がったのでしょう。

 

 

桂子師匠は、言葉もいらないのよ。生き様だけで人の心を動かすことができる

 

「言葉が大切だ」と教わった師匠のことを、こう表現したナイツ塙宣之さん。

師匠に対する最上級の尊敬の念を感じられる、とても印象的な言い回しですね。

 

 

最後にマセキ芸能社にてナイツのお二方より師匠に対するメッセージを掲載して終わりたいと思います。

 

「言葉で絵を描きなさい」

師匠から何度も教えて頂いた指導です。

誰より漫才を愛した師匠でした。

意志を継いでいくので安心してゆっくりと休んでください。

本当にありがとうございました。

塙 宣之

 

とにかく舞台が好きで、お客様への愛情に満ちた師匠でした。

最後まで芸人として力強く生ききったその姿を間近で学ばせて頂くことができて、僕らはきっと日本一幸せな漫才師です。

本当にありがとうございました。

土屋 伸之

引用元:マセキ芸能社ウェブサイト

 

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